貝紫の文化

             

恋人のための貝紫 聖書やギリシャ悲劇にうたわれ、クレオパトラを魅力した。 2000年もの間、変色しないで発見される紫の動物染料、貝紫を紹介します。 デュルス英語のチリアンパープルは最高とされていた。 1グラムの染料を採集するのに2000個の貝が必要。 1グラムの貝紫の染料が、金10-20グラムといわれた。

  紀元前 1600年
貝紫がフェニキアで発見された。その当時の工場は、ギリシャ、南イタリア、スペイン、アフリカ北岸。

紀元前 336年
アレキサンダー王の父の墓より、骨が貝紫の布に包んであった。

紀元前 27年 ローマ帝国成立後:
皇帝のみが貝紫の使用が許されていた。もし、貝紫の売買にかかわる事や、貝紫を着ることは死刑に処せられました。 国家の重要な文書は、貝紫で染めた羊皮に残されていました。

紀元前 3世紀-4世紀
シーザーのマントは貝紫であった。フランク ジュニアスの絵画にある、 タルソスに上陸したクレオパトラのガレー船の帆が 紫で知られるように、シーザーの死後、 クレオパトラのガレー船も貝紫、そして、クレオパトラのドレスや化粧が 貝紫色の物が発見されています。

中世 1456年
ローマ法王が、貝紫禁止命令、完全に生産を停止。 その魔性は完全に葬られた。

  貝紫神話
貝紫の発見者はデュルスの神ヘラクレスだった神話が伝わります。 デュルスの神、ヘラクレスの恋人、妖精のタイロンと海岸で鮮やかな紫に染まった犬を見つけ 驚いたタイロンが、あれで染めた衣をくれないと、求婚に応じないという。

太陽にあてると7色に変化して紫になる事や、漢方の働きがあることで知られ、火や太陽に例えられ 魔術に結びつき、ボーンインパープル高貴な生まれ、血を意味するようになった。

ローマ皇帝は、その着衣に紫をまとった。また、「ユダヤの王」といわれたイエス・キリストはその処刑に際し、 紫の衣をまとわされていた。聖徳太子の定めた冠位十二階では、紫は最上位の大徳の冠のとされた。

現在も中南米のインディオは、貝紫の布を腰巻などに使用しているところがあります。 宮山博士は世界で全滅されたといわれている貝紫の生産を調査し、貝を殺さないで染料を抽出し、 海に帰すことに成功してます。貝紫は、メキシコでも恋人に愛を伝える最高の贈り物として 伝えられています。

(日本経済新聞 美の故郷 参考)



Country Info
Mexican Art
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Mysterious
Stone

Shell Purple