先住民文明
パレンケのマヤ時代のピラミッドこの地域は、紀元前2万年頃の人間が居住したと形跡があると謂われ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。 先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれたその後も後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。

アステカ帝国
14世紀後半、テスココ湖の西岸にあるアスカポツァルコを首都とするテパネカ王国にテソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握ってアステカ帝国を形成する。

スペイン植民地時代
16世紀初頭の1519年のスペイン人エルナン・コルテス (Hernán Cortés) の到着と1521年のアステカ人の敗北、そしてスペイン人による支配により、この地に「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」と呼ばれる植民地が誕生し、メキシコの植民地時代の始まりを告げた。

独立
メキシコ・アメリカ戦争スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョたちの間に独立の気運が高まった。スペイン王家がナポレオンに滅ぼされると、1810年9月15日に、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。 1821年9月15日に独立闘争の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコシティに入城し独立を宣言。しかし1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と戦争を起こし(米墨戦争)たものの、1848年に終結するとテキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・グランデ川以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)を喪失した。

メキシコ革命
その後1876年には、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスが独裁体制を敷き、非民主的な政体は1910年以降のメキシコ革命をもたらす。革命軍は政府軍を敗北させ、1917年に革命憲法が発布されたことで革命は終息したが、20年以上の長年に渡る内戦を残した。

現在
ラサロ・カルデナス革命が終わると、1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。与党の制度的革命党 (PRI) が第二次世界大戦を挟み、冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配したが、蔓延する汚職や停滞する経済の責任を問われて総選挙で敗退した。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。 また、20世紀に入って以降は石油や銀の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、その後の近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が現代に至るまで国民を苦しめる結果となった。

主な統計
人口:1億778万人(2006年)
人口増加率: 1.18%(年率)
人種構成:
混血(メスティーソ):60%、
先住民族(インディオ):25%、
ヨーロッパ系(主にスペイン人。他にもイタリアやフランス、ドイツなどからの移民の子孫がいる):14%
その他 : 1%

公用語はスペイン語だが、先住民族の65言語(マヤ語など)は政府が認めている。宗教はローマ・カトリックが89%、 プロテスタントが6%、その他が5%である。



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